旧岩崎庭園といえば、、上野公園そばのあの建物を思い浮かべるかもしれませんけど、実は「旧岩崎庭園」とよばれる場所は、まだもうひとつあり、それが六本木というか港区というか鳥居坂の坂の途中にあったりします。
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写真1
それで、だいぶ前ですが、みちくさ学会の取材でふたたび鳥居坂(NO.96)を訪れたときに、坂の途中に「旧岩崎庭園」の案内板があったので、そういえばここにもあったなあということで、今回もふらりと敷地内にはいってみたというわけです。
写真は庭園とセットで計画された国際文化会館なる施設の中でこっそり(といってそれなりの覚悟でいけば誰でも入れますよ・・・)パチリと一枚。(写真1)
ちょうどむこうのほうに東京タワーなんぞが見えていたもので、庭園そっちのけで撮ってしまいました(笑)。
いちおう庭園はこの右側にひろがっています。
まあ、気になる方は現地で実際にみることをおすすめしますよ。
なかなかいい感じの庭園で、なんともいえない感じでした。
ちなみに、はじめにも書いたとおり、敷地内には、「旧岩崎庭園」について書かれた案内板があったのですが、今回もせっかくなので抜粋してみると、
『
現在の国際文化会館の庭園の前身は、昭和四年(一九二九)に三菱の四代目当主岩崎小彌太(一八七九~一九四五)が建設した岩崎家鳥居坂本邸の庭園です。この庭園は、京都の造園家「植治」の小川治兵衛の作庭によるものでした。「植治」の歴代当主小川治兵衛は数多くの庭園を作庭しており、近代日本庭園作庭の先駆者として著名です。
本庭園は、崖に面した南側と鳥居坂に面した東側に植栽が施され、その内側に池を設けた池泉回遊式の日本庭園であり、入口部の岩組なども優れています。また、昭和五年の岩崎邸実測平面図と比較しても、作庭当初の姿を大筋において残していることがわかります。
岩崎邸は昭和二〇年(一九四五)五月の空襲で焼失し、その後、昭三十年には国際文化会館が建設されました。この建物は前川國男・吉村順三・坂倉準三の共同設計による戦後日本の優れた建築ですが、旧岩崎邸の庭園との調和を最大限に考慮する姿勢が認められます。
本庭園は、近代日本庭園として優れたものであるとともに、国際文化会館と調和した景観を作り出している点からも高く評価されます。
平成十七年十月二五日
』
とありました。
さらりと調べればわかることですけど、いちおうふれておくと、岩崎小彌太とは、岩崎弥太郎の弟の息子さんということみたいです。
なので、案内看板の抜粋文を読んでもらえればわかるとおり、上野公園近くの旧岩崎庭園とは、かなりの濃さでつながりのある場所ということになるのですかね。
(そして、どちらも後世の人たちにほこれる名建築だったりするんですよ。。)
ということで、今回も脱線話ついでに、さらりと旧岩崎庭園についてふれてみましたが、これ以上あまりたらたらと書いてもなんですので、今日はこんな感じです。
地図
国際文化会館
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