今日の槇さんのシンポでの宮台さんの空間と場所性の違いの話は納得。
今の建築家側で場所性を気にする人は少数。でも昔は多くいた。
(ちなみに宮台さんはザハの案に反対している模様でした。)
また専門家と住民との情報のシェアについても。
おそらく、個人的には坂道散歩を通じてのことでもあるんですけど、建築家の信仰に近い空間の感覚と住民の空間への無関心そして場所性の興味のような感覚との乖離がとにかく問題なのかなと思いました。
そして、そういうことが歴史的に重なり、人々の多くが目の前にある建築を無視し続ける原因になってしまっているのではとも思ってみたり。
そういう意味では、大橋ジャンクションなんかを歩いてて思ったりしたのですが、実は西洋の建築は日本で言う土木の設計的な発想で社会と接しているのではという、感覚というか疑問が最近ふつふつと湧いてきているので、またそのことをぼちぼちとライフワークで調べてみるのもおもしろそうかもと思っています。(あとは代々木体育館も実はけっこう土木的な建造物のような気がするのですがどうでしょうかね。)
あとさっきの海外の土木的建築家の話の続きですけど、おそらくこの感覚は個人的な話でなんですが僕が芦屋に生まれ育ったことにも起因するのではないかとも思っています。
というのもたしかにアイコニックな建築でまちのイメージをつくるという方法もあるのかもしれないですけど、すくなくとも芦屋に関していえばそこにはアイコニックな建築も大きな商業施設の存在もそれほど感じられないし、どちらかといえば土木的にまちに寄り添うかたちで存在している建築が多いのではないかとも思っています。
しいていえばあの海辺の高層団地くらいかと思いますけど、あれもたしか完成したころ(小学生か中学生のころ)にそうとう住民の中でも話題(というか問題?)になっていた割りには、今やあのマンションはなかったことのように地元でも全然名所扱いされてませんしね。(逆にひっそりとつくれたはずのフランク・ロイド・ライトのあの建築のほうが名所になってます。)
そして実は僕自身もそれほど芦屋の街にこれ以上アイコニックてきな建築は今後もあまり必要とは思っていません。
それでも芦屋は日本のなかでもあるレベルのまちづくりをし続けてきただろうし今もそのことを保ち続けているだろうと自負しているわけで、そこでのまちづくりや建築物にも確実に土木的、場所性的発想があるとも思っています。
そう考えていくと、すこし思い出すのは隈さんがどこかのWeb記事で日本人と海外の建築系の人に模型づくりとか短期のコンペをしたら日本人が圧倒的に強かったということを書いてたと思いますけど、これは裏を返せば大雑把な言い方で申し訳ないですが、日本の土木のひと=海外の設計希望の人は似ているかもと考えると、海外と日本の建築のディテール具合の差なんかとあわせてこのエピソードの謎を解く鍵になるように思います。
そういう意味では日本人の建築系の人は建築を機械(プロダクト)のように考えるように教育されてきた人が多いのかもなあと。だからこそ建築は機械だというコルさんの言葉に日本人は共感したし、海外ではその言葉にびっくりしたのかもしれないですしね。
そして話がすこしずれますが、(槙さんのシンポでもはじめにいっていたと思いますが)外苑で小さい時に学校の帰り道にランドセルを背負って散歩した思い出を語っておられたように、自分の生まれ育った場所への思いとは裏腹に、その記憶を消されるような、外苑のまちの価値のありかたを左右しかねない国家プロジェクトの施設があらわれるかもしれないという状況に建築家としてもしくは建築家という立場を借りてのいち住民としての危惧を抱かれ今回の表明にいたったのかもしれないと思っているわけなのですよ。
だからこそ最初にこんなに反響があって驚いているとも言われていたことにもつながるのかもなあと。




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